【KADAI LOG vol.4】朝ドラ「あんぱん」とクリエイティブ

【KADAI LOG vol.4】朝ドラ「あんぱん」とクリエイティブ

2026/7/21
ライター:りあんデザイナー:なぎ

鹿児島大学生が言葉を紡ぐ、エッセイシリーズ「KADAI LOG」。今の鹿大生だからこそ伝えたい、あんなことや、こんなことをエッセイとして呟いてもらいます。

朝ドラ「あんぱん」とクリエイティブ

ドラマや映画は、平穏で、ゆっくり時間が流れるものが好きだ。

SFよりはもっと現実的なものを好むし、アクションよりはもっとゆるいものがいい。

日常に寄り添ったものに惹かれるのだと思う。

 

 

だから、昔からNHKの連続テレビ小説、朝ドラが好きだ。

 

 

昨年、数年ぶりに特に好きな朝ドラに出会った。

「あんぱん」である。

放っておいたら昼まで寝る私が、朝ドラの時間になると飛び起きてしまうほどに夢中になった。

 

 

後から気づいたのだが、数年前に好きだった「わろてんか」や「なつぞら」も然りで、私は多分史実に基づいた、何か新しいもの・ことが生まれるまでの過程を描いた作品が、かなり好きっぽい。

 

 

有名だが、「あんぱん」も、あのアンパンマンの生みの親であるやなせたかしが、アンパンマンを描くまでを基にした物語である。

作中のやな”い”たかしは、家族のために医者を目指したり、はたまた好きなことを諦められず美術大学に入ったり、漫画家を目指したと思えば百貨店や新聞社に勤めたり、、、。

とにかく紆余曲折しながら、最後には「逆転しない正義(=どんなに時代や状況が変わっても揺るがない、困った人に手を差し伸べるようなシンプルな優しさ)」、「人生はよろこばせごっこ」という自分の信念を「アンパンマン」という形にし、日本中に愛されるキャラクターを生んだのであった。

 

 

もちろん全てが史実通りというわけもなく脚色されてはいるが、やなせたかしの軸となる部分・考え方というのはきっとしっかり反映されていて、それは、幼い頃から「それいけ!アンパンマン」という作品そのものを見てきた我々には、理解に容易いと思う。

 

だって、あれほどに愛と優しさからできたヒーローを、私たちは他に見たことがあるだろうか。

 

 

 

 

 

さて、ハマったらとことんの私は、半年間「あんぱん」を見ては関連番組もチェックし、ちょうど鹿児島で開催されていた「やなせたかし展 人生はよろこばせごっこ」に足を運び、そして遅ればせながら先月はついに、やなせが生まれ育った高知県にある「やなせたかし記念館」への旅行も叶った。

やなせたかし記念館

 

 

さて、そんな私がこの記事で書きたいことは、「あんぱん」を見た感想ではなく、「あんぱん」とそれにまつわるコンテンツを通して、畑は違えど同じく”クリエイティブ”に向き合う(将来的に向き合いたい)者として得たものの話である。

もう2作品も後の朝ドラが放送されているというのに今更こんな文章を出すのも甚だおかしいが、その理由もまた、今回書きたかったことに関わるためどうかご容赦いただきたい。 

 

 

今まさにそうなのだが、真剣に文章を書くことにどこか気恥ずかしさがある。

”書きたい、読んでほしい気持ち”や”伝えたいこと”を、

”感性や思想を読まれてしまうこと”との天秤にかけては、deleteキーで勝敗をつけてしまうことが多々ある。

 

 

自分、青いなあ、と思う。

 

 

でも、幼い頃から何より一番に面白いこと(funnyの方ね!)が好きな私にとって、真剣に言葉を書いて伝えるというのは、結構屈辱的なことでもあるのだ。

感性と思想を言葉にして伝えたい自分を、愉快で楽しいことが好きなのに楽観的ではない自分を、悔やんでいた。

 

青い!

 

 

 

 

そんな感じで書きたいことを書くに書けない日は続いていたのだが、ここで話を「あんぱん」に戻す。

 

 

その主題歌を歌っているRADWIMPSが、テレビ番組でインタビューを受けているのを見た。

メンバーの野田洋次郎は、それこそ感性と思想を思いっきり言葉にし、曲にしているが、そのインタビューで、ある楽曲のモデルにした太宰治について問われた際に、こう話していた。

 

 

「人の切実な姿、必死に何かを伝えたい姿ってやっぱり、時に周りにとってはすごく滑稽に見えて。

僕としては、音楽であったり言葉ってそういうものであってほしいなっていうか。〜」 

 

『日曜日の初耳学 インタビュアー林修』 2025年10月12日放送回より

 

 

 

なるほど私の感覚は間違ってはいなかったんだ。

 

人に滑稽と思われる畏怖も、切実な姿を見せることへの葛藤も、きっと誰にでもあって、

しかしそれを越えた先に、RADWIMPSの楽曲のような感性と思想の「賜物」ができあがるのだ。

その放送を見たのちに「やなせたかし展 人生はよろこばせごっこ」を訪れると、やなせたかしはかつて、次のように話していた。

 

 

「抒情っていうのは、夕陽が沈むのを見てきれいだと思ったり、花を見てきれいだなあと思うこと。

つまり、文学でも絵画でも、本質的にすぐれているのは、ややもすればセンチメンタルと混同されやすいんですよね。

でも、僕は人間にとって必要だと思うんですよ。」

 『イラストレ』No1より

 

 

 

 

衝撃だった。

このとき唐突にやなせたかしと野田洋次郎が繋がったのである。

 

 

創造する人は、こうやって創造することを肯定しているのだ。

クリエイティブな仕事をする人の根底には、きっとこれがあるから、クリエイティブでいられるのだ。

 

これが、やっぱり書こうと思えた瞬間であり、この記事を書いたきっかけであった。

滑稽さこそ、この気恥ずかしさこそクリエイティブの根幹であると言われたような気がして、

初めてdeleteキーを押してしまう自分を肯定できた。

 

 

 

 

いち朝ドラとその背景に、ここまで感化される日がくるとは思ってもいなかったが、

「あんぱん」は、少なくとも1人の人間の”クリエイティブ”に対する価値観をひっくり返した。

 

とはいえやはりまだ私は青くて、この文章を不特定多数に見られると思うと肝が冷える(し、これもかな〜り前から書いていたのに出せないままだったのだ)が、

せっかく出逢った彼らの言葉たちぐらいは、自分の中に留めておきたいものだ。

 

 

いつかこの青さをも乗り越えて言葉を紡げるようになったとき、ほんとうの意味で彼らの言葉たちを噛み締められるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

僕とおんなじ人たちよ 僕らは詩人じゃないけれど

せめて心の奥底の 孤独あるいは激情を

なにかのかたちで話したい

せっかくこの世に生まれてきたから 生きるしるしを見つけたい

 

やなせ たかし『誰でも詩人になれる本』

 

 

 

 

 

 

私とおんなじ人たちよ 恥じることなくクリエイティブであれ!

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