【留学日記】夜の道を歩く/ 文・ねじめん<KADAI LOG vol.3>

【留学日記】夜の道を歩く/ 文・ねじめん<KADAI LOG vol.3>

2025/6/7
ライター:ねじめんデザイナー:ねじめん
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 鹿児島大学生が言葉を紡ぐ、エッセイシリーズ「KADAI LOG」。今の鹿大生だからこそ伝えたい!あんなことや、こんなことをエッセイとして語ってもらいます。

 第3回のテーマは「夜の道を歩く」。マレーシアでの留学や就活を終え、KADAI INFOに復帰したねじめんが約1年半ぶりに留学生活を振り返ります。

<目次>

In Johor Bahru / October 2023

ー放浪した先のホテル

「僕は果たして無事、"あの家”へと帰れるんだろうか。」

「いや、つい1週間前に住み着いたあの部屋を”家”と呼んでいいんだろうか。」

 目の前で税関職員がマレー語訛りの英語で捲くし立ててくるが、耳に何も入ってこない。無機質な部屋の壁をぼんやりと見ながら、吞気にシンガポール旅行の思い出に浸っていた。

 2023年10月20日。留学先であるマレーシア・クアラルンプールに着き、荷造りを一通り終えたその週末、僕は思い立ってシンガポール行きのバスへと飛び乗った。目的はただの観光。クアラルンプールとシンガポールはバスで5時間。少々の腰痛を我慢すれば軽く行ける時間だった。しかし、この咄嗟の思いつきがまさか後に地獄へと誘うなんて考えもしなかった。

 シンガポールの観光に満足し、深夜バスを使ってマレーシアに再入国する際、検問所で言われて気付いた。僕はどうやらマレーシアを出国してはいけなかったらしい。マレーシアに入国して完了していたと思い込んでいたビザ申請が未だ途中だったらしく、その申請中にシンガポールへと出国したもんだから、ビザ申請がすべて無効になったという。

 旅行前にマレーシアの大学、UPMの留学担当者には許可は取っており、「楽しんでおいで~」とも言われていた。そんな留学担当者を頭の中で盾にしながら、税関職員とバトルしていた。痛いけな日本人として何度も謝り続けて約2時間が経過。ようやく、スペシャルパスとなるものを出してもらいマレーシアに再入国することができた。拘束から解き放たれた時には夜の午前2時。乗ってきた深夜バスは、当たり前のことだが僕のことを構うことなく走り去っていた。仕方なく近くの街、ジョホールバルの中心地までタクシーで向かい、バックパック1つを抱えて夜の道を歩く。

<僕を置き去りにした幻のバス>

 深夜2時過ぎのジョホールバル。Google Mapsで近くのホテルを探し、片っ端から電話をかけ、選択は1つしかなかった。いかにも怪しげなネオンが煌々と光るモーテルのようなホテル。近くまで行くと、宿の前にはパトカーが止まっており、暴れる男を取り押さえる警察官に泣き喚く女。もうここまで来たら、そんなことになんて怯えていられない。それよりも、僕は周りを彷徨く野犬にいつ噛まれ、ジロジロと見てくる怪しげな輩たちにいつ強盗に遭うのか戦々恐々としていたのだ。警察官たちの群衆をすり抜け、建物に入ると頭を抱えながらも優しそうな店主が出迎えてくれた。

『なんで、この時間にこんなところを出歩いてるんだ。』

『あっ、えーっと、そこの検問所でバスを見失って...』

 日本から来た学生だと話すと興味を持ち、にこやかに聞いてくれたあの店主の顔が忘れられない。僕がさっきまでどれほど怖い思いをしてここまで辿り着いたのか、当時の拙い英語を吐き出すように、店主へ訴えた。僕の言っているほとんどの言葉を彼は理解していなかったと思う。だけど、店主の顔を見たら心を許して話したかったし、聞いてほしかった。

 部屋に通されると、トイレの便器は壊れており、シャワーは冷水しか出なかった。けれど、迷うことなく冷水でシャワーを浴びて、シミのついたベッドで泥のように深い眠りにつくことができた。この時、僕自身の中にあるマレーシア文化への許容範囲を大きくこじ開けられた。これは、それまで嫌だった温泉の床を平気で歩くことができた時のような感覚に似ている気がする。一連の顛末が、まずこの留学中に浴びたマレーシアからの洗礼だ。

<当時、迷い込んだホテル>

In Tokyo / April 2024

ー日本で感じるホームシック

 まだ冷たい風が吹く4月上旬、僕は甲突川の辺りでタイガービールを片手に花見をしながら、マレーシアでの思い出に耽っていた。マレーシアの大学、UPMで前期の学期末試験を終え、僕は学生ビザを再申請するために2か月間、日本に一時帰国していた。

 日本に帰ってきてから数週間は、現地で食べられていなかった日本食たちを取り返すかのように連日食べていた。しかし、そんな和な生活にも慣れてくると逆にマレーシアが恋しくなっていた。マレーシアにいた時はあんなにも嫌だった、多言語が飛び交う混沌とした街並みも、甘さと辛さを追求した食も、昼夜問わず吹く熱波も日本に戻ると、どこか寂しく感じてしまう。

 21年間、鹿児島に住み続けて、当たり前に帰るべき場所は鹿児島だと思っていた。しかし僕にとって、その概念は少しずつマレーシアに置き換わっていたと気付く日々だった。

 Google Mapsで近所にあるマレーシア料理、タイ料理、インドネシア料理、片っ端からエスニックのレストランを保存した。初めて行った代々木上原にあるモスク、東京ジャーミイは居心地よくて、気付いたら2時間もモスクで過ごしていた。マレーシアにいた頃、日本食のレストランを見つけては一人で通い詰めていたことも、大学の学期末試験が終わった次の日には意気揚々と日本へと帰国したことも、今ではバカみたいな話だ。

 それでもやっぱり、マレーシアでの大学生活に戻ると日本の空気が恋しくなっていた。出汁が溢れる居酒屋の玉子焼きに、桜吹く春先の風、警戒しなくとも平気で寝られる電車の安心感。そんな一つ一つを寂しく思い出しては、「やっぱり、僕は日本人なんだ。」と身に染みて感じる。

 数か月間で、マレーシアと日本を行き来して、矛盾した情緒が不安定に交錯する。しかし、「結局のところ、僕はただ無いものねだりを繰り返しているだけなんだ」とふと気付く。そこからは、マレーシアでも日本でも感じていたホームシックと名のつく不安定な情緒は、ちっぽけな気持ちとして片づけることができた。

<大好物になった甘々Tea tarikと激辛Nasi lemak>

In Kuala Lumpur / May 2024

ーどんな時でも輝くツインタワー

 熱帯の街、クアラルンプールの道端でリクルートスーツに身を包んでいるのは僕だけだった。オンライン面接を終え、僕は日が暮れるまでただツインタワーを眺めるだけだった。疲れて動く気にもなれず、涙も枯れて出てこなかった。

 ただ、この景色を眺めているだけ。「こんな時でもツインタワーは美しい」という感覚だけは確かにあった。

 3年生の夏から始めた就職活動が、4年生の5月になっても未だ終わらない。始めた当初はあったであろう、「報道記者」という仕事に対する熱い思いや、2025年で何としてでも卒業するというこだわり、何もかもが面接を重ねるたびに打ち砕かれていく感覚だった。

「留学をしているんだから、卒業を1年先延ばして、もっとゆっくりあなたに合った企業を選ぶべきなのでは?」

「記者の仕事はどこのでも体力的にきついけど、本当にやっていけるの?」

 面接官から繰り出される質問を、打ち返す時間はたったの10分程度。もちろん、ポーカーフェイスで自信をもって回答していた(はず)。だけど、その時に聞かれた全ての質問を反芻するかのように、夜中に暗い部屋で途方もなく一人で考え込んでしまう。だから、この頃の僕は夜中にクアラルンプールをただひたすら散歩することが日課になっていた。その方が「僕は一人じゃない」と思えたからだと思う。

 しかし、そんな自問自答を繰り返している内に、記者という仕事に対する熱意も、自分なら大丈夫という自信も薄れていってしまった。そして、「記者になって、僕は何をしたいんだろう」。就職活動を無心に続ける中で、いつの間にか記者になることが、手段ではなく目的に置き換わっていた。

 そうやって迷走を続ける中、ある日「世界中で取材ができるジャーナリストになりたい」という遠い微かな夢を思い出した。きっかけは、ジャーナリズムの授業で一緒になったクラスメイトの一言。

「私、ジャーナリストとして色んな国に行きたいんだよね」。

 普段は飄々としている彼女がこの時だけは真っ直ぐな眼で見つめてきた。そんな眼で見つめられてから、僕の目の前にある道が、さらに複雑に絡み合う。「僕も国を越えて取材に駆け出すジャーナリストになりたい…そのためにはどうすればいいんだろう。」そんなことを考え出すと、「今の英語力じゃ…」「今のキャリアじゃ…」さらに重荷がのしかかってきた。

 だけど、この気付きがあってから、僕は途方もないことについて考えることを辞めた。「この道の先はまだ見えないけれど、今進むべき方向だけは定まっているよね」。そうやって、見えない何かを背負うことは諦め、またゆっくりと歩き出す余裕が出てきた。

「これがベストな回答なのか分からないけど、今はとりあえず夢のためにできることと精一杯向き合おう。」

 クアラルンプールのネオンの下で決意を新たにする。

In UPM / August 2024

ー夜の道を歩いた末の宿題

 留学して 10 か月。僕はこの広い世界と繋がっているために、日本人で居続けたいと思えるようになった。

 留学最後の1か月は、10年間続けてきた書道を大学で披露する機会が多くあった。大学が開講する日本語の授業で書道を教えて、いくつかのイベントで書道パフォーマンスを行った。特に大変だったのは、観客の名前を即興で漢字に当てて書くパフォーマンス。

「シャ、シャフィナーズ?」

「ファラ…??」

 日本では聞き馴染みのない名前に何とか意味を持たせて漢字を当てた。元々は、決まった作品をただ目の前で披露するだけだったのに、その場のリクエストを断り切れず、やむなく書いてしまった。いかにも日本人らしい対応だ。 今思えば、 「あの当て字で本当に良かったのか。 」 などと悔いも残るが、そんなことよりも作品をプレゼントした時に見せてくれる相手の喜ぶ顔が忘れられない。

 だが、僕はこの留学生活を通して、 日本という国に対する愛国心やアイデンティティが薄い方なのだと感じることが何度もあった。 ユニットメイトだったバングラディシュの友人は大学院を卒業したらエンジニアの仕事を通して国のインフラ整備に役立ちたいと話す。

「こんな熱心に自国への思いを語れない…」

 そんなことを、留学生活の中でぼやいたことが何度あっただろうか。だけど、日本人としての行動を求められて 10 か月。僕は、国境を越えた色んな背景を持った友人たちとこれからも繋がっていくために、日本人としての軸を太く育てていきたい。

 これは僕が世界で活躍するための、帰国後の宿題とする。

<お気に入りのナイトマーケットにて>

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ねじめん的夜の道テーマソング:礼賛「PEAK TIME」

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前回の記事は以下リンクからチェック!

【本音吐露】とある鹿大生がマレー留学をした理由と、渡航前に抱えていた悩みとは?<KADAI LOG vol.2> 

‐あとがき

 ここまで長ったらしい文章を読んでいただきありがとうございます。「毎日がハラハラする留学体験記は、またいつかどこかで。」と前回の記事で書いてから約1年半が経ちました。また、KADAI INFOで文章が書けるなんて思ってもいませんでしたが、留学中に起こったことを何となく綴ってみました。

 僕にとってマレーシアでの留学生活は挑戦の連続ばかりで、失敗することも多くありました。むしろ、失敗ばかりだったと思います。だけど、今振り返って色濃く残る思い出は失敗した瞬間ではなく、「挫いてばかりで堪るか!この野郎!」って這い上がろうと奮起する瞬間です。だからこそ、失敗した経験や苦しい環境が、これからの人生をより豊かにしてくれるんじゃないかって信じています。

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